ヨーロッパ紀行 - ドイツ・ベルリンへの旅 2009

ドイツの首都ベルリン旅行記をお届けします。
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 ドイツ・ベルリン滞在1週間 2009

今日はベルリンといえば「壁」。で、壁にまつわる場所を巡ります。

 Day 7

本日もまたまた10時過ぎにアパートを出発。地下鉄に乗って、有名なチェックポイントチャーリーへ向かった。

チェックポイントチャーリーから一番近い地下鉄駅


地下鉄を降りた途端、ものすごい人・人・人。今やチェックポイントチャーリーは、ベルリン一の観光地と化しているらしかった。 あの1989年のベルリンの壁の崩壊の日を覚えているとは思えない若い人も多く、びっくりした。

私も、あの日のことは今でもよく覚えているし、今までに見た映像で一番感動した映像だと思っているつもりだけれども、 それでも、やはりここに来て見ると…忘れていたことも多かったらしく、あの日の思い出が改めてよみがえってくるような気がした。

大混雑のチェックポイントチャーリー付近


上の写真は、向こう側が元東ベルリン。写真を撮っている側が元西ベルリン。今や向こう側には新しい大きなビルが立ち並び、 たぶんかつての面影は全く残っていないのであろう。

チェックポイントチャーリー


さて。このチェックポイントチャーリーの目の前には、「壁」の博物館があります。この博物館は1962年にできていて、もちろん 東西に分かれたベルリンとチェックポイントチャーリーの様子をずーっと眺めてきた博物館です。東西ベルリンに分かれていた時は、 外国人が東ベルリンに入ることができるのは、ここともう一箇所、フリードリッヒシュトラーセ駅のみだったので、 東西ベルリンに分かれていた当時、東ベルリンに行ったことある人はの多くがここを通って東側に行き、この博物館にも 寄って、東側を眺めたりしたのかもしれない。

この博物館、小さいのに12.5ユーロもかかり、ちょっと高すぎ?!…とかなり躊躇。それでも、せっかく来たからには…ということで 入ってみることにした。中は、人気博物館ということもあり、また、小さいということもあって、大混雑。りすちゃんは勝手に とととーと中に入ってしまい、人をかき分けて、どんどん別の部屋に行ってしまったため、だんながかなり焦って探しに行っていた。 そして、見つけた途端、大勢の人の前で、「ダメじゃないか〜〜!!!」と怒ったので、大注目(…)。普段はおとなしい人だけに、 こんな大声で叱るなんて、相当焦っていたような気がします。 見たい写真・読みたい記事はたくさんあるのに、りすちゃんの興味を引くものはさっぱりないので(当たり前だと思うけど…)、仕方ないので、 空いている部屋でまずはだんながりすちゃんの面倒を見、見学が終わったら交代する、という方法で廻ることになった。 時間がかかるけど…しかたあるまい。

面白かったのは、脱出方法。車で脱出を図った、というのは聞いたことがあったけど、それ以外にトンネルを掘ったとか、気球で渡った とか…。もちろん成功すると、すぐにその対策がとられたため、80年代に入ると成功する例はまずなかったようだが…。 あたりまえだけど、昔はただ一つの市だったので、働いている場所が東側・住んでいる場所が西側、と分かれていたり、両親は東、 私は西、兄弟は東、と分かれていたり…、無理矢理できた壁のせいで、ベルリン市民にとってはまさに家族生活に支障がでる「異常事態」となった 人も多く、そういう人が、主に脱出を試みたりしたのだな、ということがここに来てようやく分かった。脱出を図る、というと、 どうも「思想に嫌気がさして…」とか「自由を夢見て」とか、そんなことを考えがちだけど、実際はもっとシンプルな理由で 脱出を試みた人が多かったのだ。

部屋一つを割いて、別れた子供を取り戻すために、チェックポイント・チャーリーで何年も何年も抗議運動を続け、最後にようやく 娘たちを西側に呼び寄せることに成功した女性の話が取り上げられていて、涙がでた。

有名な看板(本物…ほんとは写真禁止です)




ダブルに時間がかかったので1時過ぎ、ようやく博物館の外に出る。チェックポイントチャーリーの前を横切って、近くのカフェに入ってちょっとしたものを 食べる。かつては恐ろしい検問所だったチェックポイントチェーリー前のなんでもないカフェ。平和な風景そのものだ。

その後、壁沿いに左手に向かった。すぐに長いベルリンの壁が…。それは、想像した白い壁ではなく、どちらかというと灰色の壁。皆で壁を叩き割ったせいなのか? それとも、記念に、と壁をほじくって家に持ち帰る人が相次いだためなのか、ともかくボロボロ。

壁の前で無邪気にジャンプするりすちゃん


この裏では、工事が行われていました。 そう、ここは…戦争終了まで、泣く子も黙る恐ろしいナチスSS親衛隊とゲシュタポ警察の本拠地だったアドレスなのです。 この場所に、新しい記念館が建つ予定なのですが、一度は著名な建築家によるデザインが採用されて建設が始まった記念館 は恐ろしく費用がかかり、長い間、財政難のため、放置されてしまった状態だったらしい。 が、ようやく新デザインも決まり、今、工事中となっているようである。何の記念館になるのかというと「テロのトポグラフィー」。戦中・戦前のナチス国家によって 行われたテロの様子を紹介する記念館です。建物建築中の現在は、屋外に関連写真が貼られている状態で、自由に展示を拝見することができます。

テロのトポグラフィー入り口


外なので、りすちゃんがちょっと遊んでてもいいや、とちらちらとりすちゃんを眺めながら、写真展示も見ました。恐ろしいテロ写真が続きます。 そして下では、呑気に石を拾って投げて遊んでいるりすちゃん。本当に対極の風景が私の目の前にあって、 この時代は…こんな無邪気な子供たちも、殺されていったんだね…そう思うと、ああ、なんて言ったらいいのか、なんともいえない複雑な気持ちでした。

全部展示写真を見て、話す言葉もなく、とぼとぼと歩いて、テロのトポグラフィーを後にしました。

その後、とぼとぼと歩いてポツダム広場へ。だんなが、この近くに監視塔があるはずだから見たい、と言いだしました。私は何のこと???とさっぱりよく分からず、 疲れているので、どこかで休みたい、、、と思ったのですが、仕方なくついて行きました。 たくさんの人でにぎわっているポツダム広場の裏を少し歩くと…目の前に現れました。東西ベルリンの壁の存在を不気味に伝えているものが…。

不気味に残る監視塔


そう。監視塔、とは、壁を超える違法者がいないか、境界線で監視していた塔です。実際に警備員がここから銃を構えていたのです。壁がなくなる前には、 ベルリンだけで300以上もあったそうです。今日、記念碑として残っている ワケでもなく、保護されているワケでもなさそうなこの監視塔…。老人が記念撮影している以外は、誰もおらず、なんとなく当時の不気味さをそのまま 静かに伝えている…そんな感じでした。





さて。これで、本日の「壁」にまつわるツアーはおしまい。あとは、優雅に過ごしましょ、ということで、地下鉄に乗って優雅なカフェ、 カフェ・アインシュタインに向かいました。ここは元西ベルリンの 美しいヴィラがカフェになっていて、室内・屋外とも優雅な雰囲気で食事・お茶が楽しめる場所なのだそうです。

カフェ内


着いた当初、まだ5時過ぎだったので、食事ができるのか?勝手に席についていいのか???分からない状態でしたが、「どうぞ、どうぞ、好きな ところに勝手に座ってください」と至ってシンプル。中では、一人でお茶している男性がちらほら座っているだけでしたが、ご飯を食べても 構わない、ということだったので、夕食を頼むことにしました。ここのお勧めは「ウィーン風シュニッツェル」ということだったので、 それにしました。ここで何年も働いているベテラン(?)のようなおじさんが、まさに完璧な西側のサービスで、食事やコーヒーを持ってきてくれました。 うーん、いい感じだなあ。室内にはあまり人もいなかったので、りすちゃんが少し歩きまわっても平気。のんびりとしました。外はたくさんの 人が、お茶してましたけどネ。

シュニッツェル、、、大きい!


コーヒーも芸術的


ご飯を食べ終わっても、まだ夜の7時前だったので、美味しいジェラードを食べましょう、とまたポツダム広場に戻ることになりました。 5日目に来たジェラード屋さんへ。今日も、またまた混んでます。ドイツのアイス・カフェはいつもババ混み(笑)。皆、それぞれ 好きなジェラードを食べました。りすちゃんは、アイスを食べるときは、いつも本当に幸せそう。見ているのが楽しいけど、 いつもこんなに食べたらさらに太っちゃうよ(苦笑)。

さて。今日は、ベルリン最後の夜。荷物詰めがあるので、ジェラードを食べた後、アパートに戻りました。 ああー、もっと買い物する時間があればなあ〜…ちょっとそんなことを残念に思いながら。でも、あんまり買い物をしなかった せいか、あっという間に荷物を詰めることができました。

 ドイツ・ベルリン滞在1週間 2009 最終日へ続く



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